アラフィフになって、今更ながら。
タイムスリップのマンガ読んだせいだけど。
人に役に立ちたいっていう気持ちが正直、希薄。少なくとも40歳くらいまでは自分が良ければいい(もちろん子供は大事だったんだけど)って思ってた節がある。
子どものことはプライオリティが高い前提で、それは当たり前だったので、まあ子供の成長のために自分の何かしらを犠牲にしていたとは思うけど、それは犠牲にしたという意識は全くなく、やりたいこと(もしくはやらねばならぬこと、人として)っていう気持ち。子どもにかかりっきりの母ではなかった。習い事をやらせたがったのは私よりも夫。毎日自分の時間が欲しくて、私のほうが通勤時間が長く勤務時間に融通が利かないのをいいことに学童のお迎えはほとんど夫だった。B子が帰宅後に言うことを聞かないから大声で叱ることが常だったらしく、小学校に虐待疑惑で呼ばれたこともあった。もしかしたらあれはB子にとってトラウマとなっているかもしれないと思う。中学以降の不登校や自傷の引き金になったとしたら、私のせいかもしれないと今更ながらに思う。自分のことを優先するんだったらどうでもよい検索に時間をかけるより、もっと勉強とかキャリアアップに時間を使ったほうが良かった気がする。その日その日を過ごすことでノルマを終えたような気になっていた。この年で語学も結構きついし。
でも、今できることは、過去を変えることじゃないんだよな。
ちょっとしんどいけど今できるのは、自分の高めたい能力を高めること。今からでも。あと、人の役に立つようなことを考えないと長続きしない。それはわかってるんだけど、やっぱり人の役に立ちたいっていう気持ちが少ない。
人の役に立てるのって、なんだろう。
グレードを上げること、ではないような気がする。
そうは言いながら、頭がすぐよその事に向いてしまう。どうでもよいことを調べてばっかいる。ブログの更新を何度も確かめてしまう。中毒だな。
今ある役割を求められるよりもっと成果を出すこと、は、誰かの役に立ち、かつ自分にとっても都合が良いような、気がする。
そんなところから始めようかな。
ネガティブモードの頭で、つらつらと考えた、きょうのわたし。
こんなの公開しちゃっていいのだろうか。
このままDimentiaにでもなったら、後で役に立つかも。あの時はこれくらい考えられていたって。
ま、いいか。